例えば、今までにあらゆる音楽に登場した楽器、つまり、我々が日常耳にする範囲の音楽で限っていえば、登場する楽器は、世界中の人たちが手にし、発明し、使ってきた楽器のおそらく何百分の一ですよ。耳に聴こえる楽器から聴こえない楽器、それから自然の中に埋没している楽器群ね。僕がいちばん感動した楽器は、アフリカのカメルーンのものね。そんな楽器は他にもたくさんあると思うんですけど。(中略)カボチャの殻を地面を掘って埋めるんです。その上にシュロの葉っぱを張って、そしてそれを土で埋めちゃう。その葉っぱに紐を1本結んで、細い枝につなぎ、それを弦として弾(はじ)く。鼻歌まじりに弾くんですよ。地面が鳴りだすんですね。土地の魂振りなんです、元々はね。土地の霊を鼓舞する楽器だと。(中略)音が音楽と名づけられる聴覚現象として切りとられるのは、貧しい状態であって、しかも今みたいに、生活のあらゆる場に無駄に入り込んでいるのはじつに音楽ではなく、非音楽的な状態であって、まだまだ人間は音とはもっと多彩な関わり方や、斬り込み方をしなければならない可能性の方が大きいというように思うんです。

杉浦康平 『The Meditation 1978=春季号』特集「音楽と瞑想」 (via kawamurayusuke) (via re-vu)